動画販売【荒野塾・雑談篇Vol.06】リチャード・ローティ『偶然性、アイロニー、連帯』と民主主義とはなにか|バスター・キートン「笑いが消えて、何もかもがマジガチになったときにそれは(体験デザイン研究所・宮台真司・阪田晃一)
動画販売【荒野塾・雑談篇Vol.06】リチャード・ローティ『偶然性、アイロニー、連帯』と民主主義とはなにか|バスター・キートン「笑いが消えて、何もかもがマジガチになったときにそれは(体験デザイン研究所・宮台真司・阪田晃一)
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冒頭30分はYouTubeで無料公開しています。
https://youtu.be/gowLxYHh8dM?si=vSUJL_2jeVd7xdPI
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【トーク概要】
リチャード・ローティ『偶然性、アイロニー、連帯』について論じている。まずローティが言う「偶然性」とは、言語による世界体験の偶然性。ヴィトゲンシュタインによる言語ゲーム論を下敷きにした議論だ。 ヴィトゲンシュタインによる言語ゲームとは「言語との戯れ」。ローティは、僕たちは本当は複数あるはずの世界線の中で、たまたま今の現実を歩んできたに過ぎないと言う。
同じくヴィトゲンシュタインを下敷きにしたH.L.A.ハート『法の概念』についても解説。「法は作られたものではなく発見されたもの」。 そこから一般性(社会学)と普遍性(人類学)の概念へ。今の社会に適応した構えで言葉を使うのか、普遍なものを貫徹した構として言葉を使うのか。ローティの『人権について』に収録された有名な講演録『人権、理性、感情』についても触れている。
『偶然性、アイロニー、連帯』の第一章「言語の偶然性」。その言葉を喋っていることそれ自体は偶然。だから第二章「自己の偶然性」。その言葉で体験している自己も偶然。そんな私たちが志向する「リベラルな共同体(第三章)」も偶然。宮台さんはこれを「マジガチな人に対する警鐘」だとする。 ある言葉が話されたり、書かれたりするのは、ペンローズの量子脳仮説をひけば、フロイトによる「意識、前意識、無意識」の「前意識」に格納されている可能態としての言語群から、取り出されて意識の上ったもの。そこにも偶然性。
そして「アイロニー」。ローティ「リベラル・アイロニスト」を提唱する。アイロニーとは何か?これを無声映画・喜劇俳優のキートンを引用して説明している。「全体に見えるものを一瞬で部分化してしまう笑いのセンス」を、リベラリストは身につけるべきなのだ。
https://www.youtube.com/watch?si=cJxtll6pqkWiOTR1&v=lMMSpM8vukI&feature=youtu.be
リベラルとは「残酷さこそ私たちのなしうる最悪のこと」だと考える人々のことだとローティは言う。ローティはあくまで言葉は「事柄を一新する人」という意味での詩人を擁護する。
「ガリレオ、イェイツ、またはヘーゲルといった人は、自分がうまくやろうとすること表す言語を開発する前に、そもそも自分がやりたいと思っていることが正確にはなんであるのか、はっきりさせることができないのがふつうなのだ」
普遍性に開かれつつ、アイロニカルに言葉に閉ざされずに、新たな実践を行うことによって新たな語彙を開くことこそリベラルだ、というローティの主張に迫る。
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https://shop.erhemos.org
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