動画販売|【荒野塾・雑談篇 Vol.08(宮台真司・阪田晃一)】量子論と神秘体験|実在論から実証論へ|科学技術の発展と世界体験の解釈の新次元へ
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動画販売【荒野塾・雑談篇 Vol.08】宮台真司・阪田晃一
量子論と神秘体験
①実在論から実証論へ ②科学技術の発展と世界体験の解釈の新次元へ
【宮台の口上】
1.
雑談篇08のテーマは「量子論と神秘体験」。『人間と象徴』や『子どもの夢』で集合的無意識や元型の概念を生み出したユングの有名なテーゼ「神秘体験の存在は神秘現象の存在を意味しない」から議論がスタートする。
神秘体験を考察したシュタイナーは「霊的事実」を科学的に記述できると言う。予知夢や遠隔夢で未来や遠隔の事象が見えるという体験は事実としてあり、それを単に偶然だと片付けずに科学的事実として記述する努力をするべきだと。
2.
量子脳仮説を提唱したノーベル物理学者ペンローズは90年代当初は変人扱いされた。二重スリット実験の干渉縞やシュレンディガーの猫の思考実験で知られる量子論は、量子重ね合わせ理論から量子もつれ理論へと発展してきた。
量子重ね合わせとは、量子が波の性質を持つ確率雲として存在すること。「ある」という状態と「ない」という状態の重ね合わせとして存在する。電子雲は「存在確率」の分布ではない。「確率存在」という同時平行の分布であることを意味する。
ただし観測すると粒子になる。これを「収縮」と言う。どう収縮するかはシュレディンガー方程式が示す「存在確率」に従う。観測以前は「確率存在」だと述べた。我々は観測しつつ量子(電子)を1粒飛ばし、ある媒体を通過させて2粒にできる。
観測するまで電子は上下スピンの重ね合わせ状態にある。うち1つを観察して上向きスピンだと判った途端、もう1つは下向きだと決まる。これを量子もつれと言う。その情報伝達速度が光速を超える事実は実験で幾度も確かめられてきた。
脳内神経細胞のマイクロチューブ内の量子が脳外にある量子との間で量子もつれの状態にあるというのが量子脳仮説。所詮フォン・ノイマン型コンピュータと等価なニューロ・コンピューティングに、脳は閉ざされていない、という含意だ。
ペンローズの父は生物学者。「無限階段」を描いた画家エッシャーの家庭教師だった。そのエッシャーはペンローズが子どもの時に描いた「ペンローズの三角形」と同じ構造の絵を描いた。ペンローズは父とのかぶりを嫌って物理に進んだ。
3.
ところで物理学はニュートン力学として長く発展してきたが、ニュートン力学では光が真空を伝わる現象を説明できないので、ニュートン力学的には不可解な「光」の振る舞いを記述する論理の研究が、アインシュタイン以降に始まった。
まずアインシュタインが「相対性原理」と「光速度一定の原理」を提唱して特殊相対性理論に纏めた。更に彼は「質量とエネルギーの等価性」を発見、原子爆弾に繋がる。質量がMだけ消滅すればmc2の運動ないし熱のエネルギーが生まれる。
かかる性質を持つ光の正体を解明すべく始まった量子論はシュレディンガーとハイゼンベルクによって量子力学として纏め上げられた。シュレディンガーは「波動力学」という考え方で、電子が波のように振る舞う方程式を導き出した。
他方のハイゼンベルクは電子の軌道計算を行う「行列力学」という方法を提案した。シュレディンガーもハイゼンベルクも電子の運動(位置と運動量)は確率的にしか記述できない、つまり電子は確率存在としてあるとの同じ結論に達した。
かくして光子や電子を含めたそれ以下に分解できない粒子(量子)は、粒子の性質と波の性質を共に持つとする「相補性」と、粒子の位置と運動量は同時に厳密には確定できないとする「不確定性原理」が、数多の実験によって確かめられた。
4.
理論物理学はアインシュタインを代表とする「実在論者」に担われてきた。量子論以降は「実証論者」にシフトして実在をイメージできない計算的事実の実証で発展してきた。その計算的事実はあなたのスマホの超高密度チップに使われている。
アインシュタインは「皆が見ている月が見ていない時は存在しないなんて信じられない」と量子力学に最後まで疑念を抱いていたが、今日では量子重ね合わせも量子もつれも、観測済みの事実だ。我々の実在概念を宙吊りにしたままでだ。
我々の実在概念では「ある」と「ない」は排中律に従うが、量子はそこに「ある」という状態と「ない」という状態を共に持つ。我々の実在概念では「上スピン」と「下スピン」は排中律に従うが、量子は「上スピン」「下スピン」の状態を共に持つ。
さて観測とは観測装置を用いた体験である。観測された体験は、実在を想像不可能でも、存在すると見るのが、理論物理学だ。それに似て、予知夢や遠隔夢の体験は、実在を想像不能でも、存在すると見るのが、シュタイナーの人智学だ。
実在の想像不能性とはメカニズムの想像不能性だ。我々の生活形式では因果的仕組が理解できない。だが物理学者は観測された体験は存在するとの前提で進む。ならば、巷に溢れる予知夢や遠隔夢の体験も存在するとの前提で進むべきだ。
5.
講義で扱った2024年のドキュメンタリ「ロスト・チルドレン」では、近代の前提に立って捜索して見つからなかった乳児を含む4人の子を、霊的体験を前提として生きる先住民らが見付ける。宮台も予知夢や遠隔夢の存在を前提に生きている。
先住民にも宮台にも霊的体験を「信じる」「信じない」という選択肢はない。自明な前提として生活形式に実装されているのだ。インゴルドが人類学者の心得とするtaking seriouslyとは先住民が前提とするものを自らも前提とすることである。
ユングの「神秘体験の存在は神秘現象の存在を意味しない」とは、体験が妄想であり得るという意味ではない。逆だ。近代が実在とは無関係だと見做す体験にも、量子現象の如く、実在の仕方を想像不能な「何か」が実在すると見るのだ。
ペンローズは四次元時空連続体に於ける三次元空間の物理量だから「相補性」「不確定性」(今日は「時間遡行」も)が観測されると不可解と感じるだけで、そこに射影を投じる五次元連続体に於ける四次元空間では不可解でも何でもないとした。
三次元空間の生活形式を送る我々は、脳内量子が1万光年遠くの量子ともつれているのが「ありそうもない」と感じるが、高次元連続体の視座からは、脳内量子と脳外量子のもつれが四次元連続体では時空を超えることを意味して当然である。
夢に関する脳研究によれば、睡眠中に、海馬に短期保存された記憶を、快不快の感情を司る辺縁系を参照しつつ、新皮質に長期保存する記憶として選別する際、夢を見る。宮台仮説では辺縁系の量子もつれが予知夢や遠隔夢の引き金を引く。
6.
大泉実成氏ゲストの前回界隈塾では50名程の会場参加者の3人が予知夢や遠隔夢の体験を報告した。この割合は予想通りだが、「変に思われたくないから、人には話さない」と全員が語ったので、実際はもう少し割合が大きい可能性がある。
関連して雑談篇では、人が前提にしないものを、前提にして生きると(まして語ると)何が起こるか、という社会学的問題(嫉妬化・他責化・他罰化)も語った。でも語ろうと思って、動画途中で予告しながら、語り忘れてしまったことがある。
夢見の自覚がある明晰夢を前提にした「夢コントロール」は、広く行われている。夢日記を続けると、見たい夢が見られるようになり、その夢の中で現実には出来なかったけどやりたかったことを実現することで、現実でも出来るようになる。
現実には口も効きたくない不愉快な相手に、夢の中で働きかけて仲良くなると、現実でも仲良く出来るようになる…など。だが大泉氏がフィールドワークした「夢を操る」とされるセノイ族は、頑強に「夢コントロール」を否定する。なぜか。
大泉氏は「森羅万象が自分を見て働きかけてくる」とするアニミズムが理由だと仮説する。セノイは夢に出た人や生物を「現実から夢にやって来た」と体験し、夢で人や生物にコールされレスポンスする営みで既に現実に働き掛けたと見るのだ。
宮台の夢体験は、近代の夢コントロールよりも、夢の「中で」現実に働き掛けられ働き掛けるセノイの営みに酷似する。それであればこそ「辺縁系の量子もつれ仮説」が重大になる。夢理論と量子脳理論を激しく学ぶ動機が、実はそこにある。
【阪田の口上】
僕は恩師が、気の達人だった。だから弟子たちを、手も触れずに吹き飛ばす場面を何度も見たことがある。しかし気の世界は不思議で「気を練っている相手しか吹き飛ばせない」という。僕は気の訓練を受け始めて間も無くして、ふっと胸に衝撃のようなものを感じたことがあった。「お、気が出てきたな」と即座に言われた。
さらに恩師は「気は実在します。海のようなもので、みな気の海を泳いでいるようなものだ」と言う。そして「一番気を考えるのにいいのは恋愛です。相手から気が出て、自分からも気が出る。文字通り『気が合えば』言葉もスラスラ出てくるのです」。だから僕は量子論に触れた時、すぐさま気の世界だと思った。僕やこれまでの気の達人たちにとって、気は実在する。
さてシュタイナーは、人間はこの世界に「物質界、エーテル界、アストラル界、自我界」を通して関わっているとした。量子論の中の弦理論は、この宇宙は11次元から成る言う。シュタイナーも同じように、人間が一般的に知覚できるのは物質界だけで、それより高次の世界を認識するには「超感覚」が必要だとしたのだ。
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